祈祷会・聖書の学び ルカによる福音書12章35~40節

「災害は忘れた頃にやってくる」とは、科学者であり文筆家であった寺田虎彦氏の言葉だと言う。弟子の中谷宇吉郎氏が書いている「今日は二百二十日だが、九月一日の関東大震災記念日や、二百十日から、この日にかけては、寅彦先生の名言『天災は忘れた頃来る』という言葉が、いくつかの新聞に必ず引用されることになっている」。

9月に入って、残暑と共に、台風襲来の季節を迎えた。この国は、全世界の一割もの多くの「災害」それも「甚大な災害」を身に負っている場所だと言われる。それはつい最近のことではなく、有史以来ずっと続いて来たことなのである。被災し、悲嘆にくれた先人たちは、後世の人間に、この悲惨さを少しでも語り伝え、できる限りの備えをするようにとの心遣いから、幾多の碑文や記念碑を刻んで来た。ところが、人間はあっさり「忘れる」のである。

「主人の不在」というテーマは、地中海周辺世界(聖書の世界)の日常的風景だっただろう。パレスチナ、主イエスの故郷であったガリラヤ地域でも、事情は同じで、農民たちはほとんどが土地を持たない小作農で、地主に地代を払って作物を作り、生計を立てるのである。元々は彼らも土地持ちであった。しかし、飢饉が数年続けば、口を糊するために土地を売るしか生きる術はなくなる。飢饉という災害の苦難に乗じて、土地を買いたたき、安価に手に入れ、地主はますます肥え太る。「持てる者はますます与えられ、持たない者は持っているものまでも、取り上げられる」のである。そして大土地所有者である地主は、他の商売も営んでいるから、大抵はエルサレムが、大きな町に普段は暮らしている。そうした「不在地主」ではなく、地方に居宅を持ち、そこで実生活を営む上級民も、地主仲間同士の付き合いや会合が頻繁にあるから、家を空けることも多かった。仲間同士で、密な人間関係を保つことが、経営上欠かせないのである。

そこで主人に代わって、家作や財産の管理のために立てられるのが、執事、管理人、今日の個所では「僕」呼ばれている使用人である。ここでは「婚宴」に参列したために帰宅が遅くなった主人を迎える「僕」の心得、が語られている。この時代の宴会は、大体が徹夜で続くことが多い。ギリシャの伝統では、通常、宴会は、食事の時間と、酒を飲みながら議論をする「饗宴(シンポジオン)」の二部制であり、大抵、最後には皆、酔いつぶれるから、午前様どころか明け方、あるいは朝になって宴会がお開きなることが、普通であったようだ。

プラトンの著作『饗宴』では、飲酒の余興として、何人かの演説者が選ばれて、その日のテーマに沿った演説によって自説を展開し、互いに議論をする様子が綴られている。皆、演説者は熱弁を奮い、時に勝手な闖入者まで現われ議論を混ぜ返すのであるが、やはりソクラテスの弁論の右に出る者はなく、一同酔いつぶれて自然散会となる中、ソクラテスは酔ったそぶりもなく、早朝、確かな足取りでひとり帰途に着くのである。

恐らく今日の主イエスの譬え話も、同じような背景があるのだろう。特に「婚宴」は、始まる時間が夜中になることも多く、イスラエルの伝統では、6日間にわたって続けられるという。多額の散財と密な人間関係を保たなければ(富の再分配と連帯)、共同体は立ち行かないのである。主人は用向きで外出したら、いつ戻るか分からないのである。「噂のネットワーク」によって、個人情報は速やかに人の口から口に伝えられるが、主人の帰宅時間までは、カヴァーできない。携帯やスマホはまだ存在しないのである。

「鬼の居ぬ間」、主人の不在は、管理人にとって大きな誘惑である。主人に代わり、主人の権能を身に帯びるのも「管理人」の特権なのである。主家に経営的な損失をもたらさなければ、己の懐を肥やすことも、下の者に向かって横暴に振舞うのも、しようと思えばできるのである。しかしこういう所でこそ、一番の人間性が現われるとも言えるだろう。

「腰に帯して」とは、正装をしてという意味で、勤務中の態度を示す言葉である。いつ帰るとも知れぬ主人を、いつ帰って来ても迎えることができるように、勤務中として灯を灯して待ち続ける。こうした仕事は現代では「ブラック」の代表であろうし、このような勤務を強いるのは、労働基準法では、到底、認められるものではない。かつて「24時間戦えますか」というCMがあったが、そんな労働は、人間のすることではない。この譬えば決して「ブラック労働」の勧めではない。

「未来を失うと共に彼はそのよりどころを失い、内的に崩壊し身体的にも心理的にも転落したのである。…まず未来のある目的に向かって緊張せしむることを前提とする」(フランクル『夜と霧』)。強制収容所の中で、そのすさまじさにかかわらず、生命を支えるものが、「内面のよりどころ」であり、それを得させるものが「未来への目標に向かってはっきりと目を向けること」だというのである。いつかは分からないが、必ずこの私を訪れるものが、もたらせるもの確かにある、というのである。いつか分からない主人の帰着など、あてにならないと、言われるかもしれない。しかしその主人は決して人を人とも思わない「横暴な」者ではない。帯を締めて待つ者に対して、今度は自分の方が帯を締めて、あなたのために食事の給仕をしてくれる方である。人生にはいろいろ困難があり、苦難や苦労はつきまとうが、そこにお出でくださる主イエスがおられるのである。それを心して待ち続ける、そこから生まれる希望があるだろう。

敗戦後間もない時代、多くの戦災孤児が巷に溢れ、駅や雑踏にたむろする少年少女たちを引き取って、養育した多くの篤志家がいた。そうした方々の中のひとり(この人はキリスト者であった)が、かつて、こんな話をしてくれた。孤児たちが集まって共同生活をしている寮で、クリスマス間近な季節に、一人の少女が玄関を箒で掃きながら独り言を言っている。何の気なしに聞くと、「いつ、イエス様が来てもいいように、きれいにしておかなくちゃ」。「いつ、来てもいいように」、この言葉から、少女はクリスマスを迎えることを心から喜んでいる。そして親を失い一人ぼっちであった自分を、暖かく迎えてくれた人と場所があったことに、心から安心している。そして今度は、自分がそのような人と場所になることができるように、祈っているのである。「平和」や「安心」というものは、こういうところにこそ、息づき、根付くものだろう。