祈祷会・聖書の学び 列王記上11章26~40節

最近「SDGs」という言葉をよく耳にする。世界的に見ても、現代の合言葉にもなっている用語である。「持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)」、この国の外務省の広報には、こう記されている。「2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで加盟国の全会一致で採択された『持続可能な開発のための2030アジェンダ』に記載された,2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標です。17のゴール・169のターゲットから構成され,地球上の『誰一人取り残さない(leave no one behind)』ことを誓っています。SDGsは発展途上国のみならず,先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり,日本としても積極的に取り組んでいます」。

「この国も積極的に取り組んでいます」という言葉には。いささか首を傾げる向きはあるものの、最近の地球を取りまく自然の状況、また世界の政治状況、生態系、環境の問題を考えると、無関心でいることは許されないと痛切に感じさせられる。それはいつか必ず自分たちの生活の上に、跳ね返って来る。人間の所為は、いつか必ずその報いを被ることが、歴史の上で明らかになっているからである。

この国の「SDGs」について、よく例に上げられるのは江戸時代の人々の生活スタイルである。衣服は、木綿や絹など天然素材から作り、庶民のほとんどは古着屋を利用し、古着が古くなると、子供用の着物、赤ちゃんのおしめ、ぞうきんにして、最後はまきとして燃やし、残った灰を畑の肥料として使い切った。製紙品はすき返してさまざまな再生紙にし、トイレットペーパーとして使用済みの紙も買い取り、再生した。寺子屋では、成績優秀な子どもへのご褒美として、反故紙が与えられた。排泄物も貴重な肥料となる「商品」、長屋に住んでいる人々の排泄物は、大家に所有権があり、排泄物は大きな収入源でもあった。江戸後期になると肥料として回収することを目的に、公衆トイレも設置されたという。徹底した「3R」(リデュース、リユース、リサイクル)が、江戸庶民のスタイルだったのである。

その時代の生活は、確かに「SDGs」社会を考えるための参考にはなるだろうが、問題は生活の根本にかかわるエネルギーなのである。「江戸時代に比べたら現代人は一人あたり40倍ものエネルギーを使って生きています。そもそも余分な富がなければ、都市は生まれない。しかし、あらゆる都市文明は常に滅びるということを歴史が証明しています。昔に比べて何倍もの人口が、何倍ものエネルギーを消費しているわけですから、いずれ地球自体が行き詰まってしまう。近代都市文明の終焉はそう遠いことではありません」(養老孟司「常識を疑え」)。

今日の聖書個所は、全イスラエル王国の分裂を語る導入部と言える記述である。紀元前1000年頃に、イスラエルは部族連合国家から王国に移行したと考えられている。初代のサウル王の統治は、王国として緒についたばかりであり、挙国一致まではなおも更なる道のりが必要であったと言えるだろう。曲がりなりにも「全イスラエル」という観を呈したのは、やはりダビデ王の時代になってからであり、パレスチナ周辺国家の弱体化もあって、幸い国力は増し、王国の版図も拡大し、ダビデ血統のユダ族の権勢は、揺るぎないものとなったのである。但し、エルサレムの都を中心とする中央集権的な国家形成は、ソロモン王の統治を俟たなければならなかった。彼は、現代で言う所の「ロジスティック」感覚に優れ、海上貿易に盛んに投資することで、巨額の富を蓄えることに成功する。列王記上10章14節以下「ソロモンの歳入は金六百六十六キカル、そのほかに隊商の納める税金、貿易商、アラビアのすべての王、地方総督からの収入があった」。22節「王は海にヒラムの船団のほかにタルシシュの船団も所有していて、三年に一度、タルシシュの船団は、金、銀、象牙、猿、ひひを積んで入港した」。これらの海外貿易による資産運用によって、王はかつてないほどの潤沢な資金を得、自らの宮殿を始め、諸軍事施設、さらに父王ダビデが為し得なかった神殿をも造営することができた。

ところが王国の繁栄とは裏腹に生じて来たことは、王国を構成する諸部族の足並みの乱れであった。素より聖書の民イスラエルは、同じルーツのヤコブを祖とする民族とはいえ、放って置いても結束の固い、いわば一枚板の単一民族ではなく、それぞれの固有の誇りを掲げる12の部族からなる連合体なのである。いづれかの部族が、外敵の侵攻によって危急存亡の波にさらされる際には、結束してこれと闘うが、平時にはそれぞれの嗣業と自律を重んじ、自治を重んじる人々の群れなのである。もし有力な部族が、自分たちの力を盾に他の部族を軽んじるようなことがあれば、「イスラエルよ、自分の天幕に帰れ」を合言葉に、その民族的絆はたやすく解かれるのである。ソロモンによる王国の栄華に慢心した若いレハブアム王は、こうした古くからの12部族の気質や伝統を読みそこない、愚かにも北の10部族に対して強権的姿勢を取るのである。それで全イスラエル王国は、前922年にあっけなく南北に分裂する道をたどる。統一王国が誕生してから、80年足らずのことであった。

11章では、王国の分裂前夜の出来事として、預言者アヒヤによるヤロブアムへの象徴行為が記されている。専横的な政策を展開する王家に対して、批判的な抵抗勢力がイスラエル中に、とりわけ北の部族に強固に形成されていたと思われるが、そのまとめ役として有能な若者ヤロベアムに白羽の矢が立てられたのである。30節「アヒヤは着ていた真新しい外套を手にとり、十二切れに引き裂き、ヤロブアムに言った。『十切れを取るがよい。イスラエルの神、主はこう言われる。「わたしはソロモンの手から王国を裂いて取り上げ、十の部族をあなたに与える」。若者にとって、預言者のパフォーマンスは強烈なインパクトを与えたことだろう。「真新しい外套」を惜しげもなく切り裂かれるのが、神のみ手なのだ。「この国は引き裂かれることによって、神の真実を証するだろう」。ヤロブアムの心中、いかばかりか。

イスラエルは、周辺の圧迫からの危機によって、ひとつの王国を形づくり、「ソロモンの栄華」と称えられる豊かさを生み出すことができた。ところが、かつてない豊かさを手にしたとたんに、王国の分裂、そして崩壊の道をたどり始めるのである。そしてこの出来事は、私たちの現代世界にも、鋭い問いを投げかけるものであるだろう。