祈祷会・聖書の学び 列王記上2章1~10節

こういうエッセーを読んだ。「家事に助けられて、毎日を送っている。炊事、洗濯、掃除がもしなかったらと思うと、ぞっとする。強がりで言っているのではない。76歳の1人暮らしの男の本音なのだ。3年前、妻に先立たれた時『ちゃんと生きてね、だらしなくしちゃだめよ』という妻の言葉に、途方に暮れながらも、そうしようと思った。『ちゃんと生きること』がなにを意味するかは今でも分からないが、家事に追われて日々を送るうちに、なんとなくこれでいいのだと思うようになった。特別なことは何もない、自分で食事を用意する。2度から3度にはなったが、朝食、夕食は手を抜かず、それなりの献立になっていると自負している。人と比較する必要はないのだ。洗濯も掃除も曜日を決めてやっている。洗濯は好きな方だが、この頃は天気を見てやるようにもなった。買い物にも冷蔵庫の中を確認して行くようになった。偏りのないメニューも考えるようになった。自慢できるようなことは何一つない、この当たり前の毎日を受け入れ、こころ穏やかに暮らす(秋重 南海男『 柚子風呂 』)」。

「遺言」というものの本質を教えられるような、一抹の寂しさと共に、まことに心温まる文章である。自分の終わりを悟った者は、後に残して行く者たち、とりわけ身近な、自分にとって特別に大切な存在、気にかかる者たちに対して、「幸い」を願うことは、至極当然な感情であろうと思われる。もはや言葉や行為等、何かをすることはできなくなる。それでも自分が去った後に何かを残そうとするとなると、財産、不動産等の資産だけの問題ではないことは言うまでもない。肝心なのはやはり「ことば」以外に、真実に残すべきものはないと言えるだろう。それではどのようなことばを残すのか。

上記文章の故人は、別離の際に伴侶に向けて、「ちゃんと生きて」と言い置いたようである。単純にして切実、心配と配慮に満ち満ちた、しかも大仰でなくあたりまえの言葉である。しかし、これ以上の深い「遺言」を寡聞にして知らない。なぜ「深い」と感じるかと言えば、このひと言によって、お連れ合いの筆者は、「途方に暮れ」、それでも「そうしようと思い」、さらに「これでいいのだと思うようになった」と告白しているからである。

今日の聖書個所は、ダビデがその生涯の終わりに臨んで、末の息子に語ったとされる「遺言」である。ソロモンは前章で、父ダビデの命によって、祭司ツァドクから油を注がれ、王位継承者とされている。今や王国の権威や権能が新しい指導者に委ねられて、動き始めようとしている。その矢先に、先の王であるダビデは、親子の関係を越えて、王国とダビデ家の行く末を望みつつ、最期の意思を後継者に託すのである。まもなく自分はこの世を後にして去って行かなくてはならないにしても、やはり後のことが気がかりなのは、ダビデも人の子ということであろうし、何を託するかは別にしても、私たちもまた、同様であると言えるかもしれない。

但し、その遺言で指示している事柄についてどう考えたらよいのだろうか。これは「王位継承史」の一部であるから、ダビデ家の正史であり、個人的な感慨や思いが記されている訳ではなく、王家次世代に向けた王家の方針や方向性を、明確に指示するものである。単にソロモン個人の一方的な政策や野心によって、粛清や忖度が加えられたことを否定し、先王の最後の意思の実現という形を取ることによって、新しい王の統治の施策を容易にするための装置であったと理解することもできるだろう。「遺言」は確かにダビデの最後の意思であるが、同時に個人的な意思ではないのである。しかしこれらの言葉、とりわけヨアブに言及しているくだりは、ダビデの心の深奥が伺われるようで、単なる政治的な判断として片付けられない、老王の悩み抜いた魂の足跡すらも知ることができるだろう。死の床にあってさえ、ゆったりを身を横たえるのでなく、このような激しい心境を吐露する葛藤の中に置かれていたことを思うと、いくら名高い王の一生とはいえ、深い哀れさをも禁じ得ないのである。

「あなたは、ツェルヤの子ヨアブがわたしにしたことを知っている。彼がイスラエルの二人の将軍、ネルの子アブネルとイエテルの子アマサにしたことである。ヨアブは彼らを殺し、平和なときに戦いの血を流し、腰の帯と足の靴に戦いの血をつけた。それゆえ、あなたは知恵に従って行動し、彼が白髪をたくわえて安らかに陰府に下ることをゆるしてはならない」。遺言の中で言及される人物の内、一番に焦点が合わせられているのが、ヨアブである。この人物は、ダビデの姉妹ツェルヤの子であり、 ダビデにとっては甥にあたるので、幼馴染であり、共に成長し、後にダビデがイスラエルに台頭し王となった経緯の間中、非常に近しい関係にあった、ということが、容易に推測される。しばしば「将軍」という肩書が付せられているから、王の親衛隊長、ついにはイスラエル軍の隊長として、常に王を護衛し、行動を常に共にしていたようであるが、ごく親しい血の繋がりからもそれが理解できるだろう。

ところがダビデは、ヨアブとその取り巻き連について、こう評している「あの者ども、ツェルヤの息子たちはわたしの手に余る。悪をなす者には主御自身がその悪に報いられるように。」ダビデは美しく有能な人物であったが、良くも悪くも情にもろく、感情の起伏の富む人間味があった。それが民衆には好ましく映ったのである。他方ヨアブは非常に冷徹、冷酷な面を持っており、自らに危険と見るや、躊躇なく残忍とも言える行動を、すぐに実行するのである。ダビデの子アブサロムが樹に宙づりになっているのを見て、禍根を断つのはこの時とばかり、自分の仕える王の息子、若い王子の生命をも躊躇なく奪うのである。そしてその知らせに動揺するダビデを、厳しく叱責する。「アブネルとアマサのこと」とは、彼が情け容赦なく、策を弄して、しかも巧妙に相手を油断させ、平静を装ってこれら将軍たちの生命を暗殺したことを指している。

ダビデがイスラエルの王としてその地位に上り詰め、その地位にとどまり続けることができたのは、この甥のおかげ、とりわけその冷酷さの故、と言えなくもない。政治の世界、権力闘争の場では、このような力づくの人物が必要なのかもしれない。しかし、思うのである。死の床にあっても、この人物を巡ってダビデの心には「葛藤」と「悔恨」が渦巻いているのである。それを吐き出すことなしには、ダビデですら「あの世」に旅立つことはできなかった。「ちゃんと生きてね」、結局、人間が人生から問われるのは。ただこれだけなのかもしれない。そして生きる者すべてに、これを語る方がいることを、忘れたくない。