祈祷会・聖書の学び ヨシュア記8章1~13節

「現在のところ歴史上で最も古い戦争の跡とされているのが、スーダンのヌビア砂漠にある『ジャバル= サハバ117 遺跡』です。ここから見つかった約1 万5,000 年前の旧石器人骨は武器で殺傷されたもので、しかもその数はおびただしいものでした。穀物の生産も家畜の飼育もまだ始まっていない旧石器時代に戦争の可能性が示されたことは、余剰生産物がもたらす富の偏在と分配を戦争の原因と考える従来の戦争史観に対する大きな反証でした」(高橋龍三郎「人類初の戦争とは?」)。

こうした歴史家の見解を目にすると、人間はその歴史の最初から戦争に手を染めており、それが宿命的な本能のようにも感じられて、暗澹たる気持ちにさせられる。現在もなお「今夜、一つの文明が丸ごと滅び、二度と決して回復しない」との暴言を口にして威嚇する、大国の指導者がいるのである。人類は、戦争の軛から永遠に逃れることはできないのか。

古代文学のテーマで、典型的な記述は、やはり「戦記」、戦争にまつわる記録である。ユリウス・カエサル自らが記した『ガリア戦記』は、全8巻からなり、紀元前58年から同51年にかけての8年間にわたるガリア、ゲルマニア、ブリタニアへの遠征について記述されており、もともとは元老院への「戦況報告書」の類であったと考えられているが、文中の所々にガリア人・ゲルマン人の風俗についての興味深い報告もある等、文学的に名文とも評されている。つまり、戦記物は、人々の耳目を集めるのに格好の媒介だったことを、彼は熟知していたのである。戦争に関する文書も、ただ統計報告のような無味乾燥な仕方では、記されないのである。それらが記録される目的は、やはり国を統治する王の権威を高め、その手腕を称賛すると共に、彼の支配が正当なものであることを主張することである。

聖書のさまざまな記述の中で、理解にあたって最もやっかいなのは、やはり戦争にまつわる伝承であろう。そこには明確に聖戦や聖絶の思想が含まれているのである。神が自らのみ旨(聖旨)によって戦争の遂行を命じ、敵に勝利(殺戮)することで、栄光が示されるのだという。それは人間の思いや利得を超えた戦い、神の正義の顕現としての「聖戦」である。そしてそこでは敵を徹底的に滅ぼしつくすという聖絶思想を伴って、残虐行為も正当化されるのである。確かに大いなる神のみわざへの「賛美」の様式のひとつ、と言ってしまえば身もふたもないが、こうした戦争に対する「聖」観念が、テロや侵略を神の名のもとに行うことで、殺戮が正当化される危険性をはらんでいることは言うまでもない。「聖」という戦争観を、古代思想の表れとして過去のものとして無視しようとすることは適当ではない。現代のいかなる戦争も、「正義」の名のもとに、そして侵略行為すらも「自衛」のための戦いとしての大義名分が掲げられるのである。現代人は、古代の価値観から未だに自由にはなっていない。

さて、ヨシュア記は、聖書の民のパレスチナ土地取得の経緯を語る物語が、その内容の多くを占めている。エリコやベテル、あるいは今日のテキストで語られるアイといったパレスチナの諸都市が、イスラエルの武力抗争によって陥落し、民はその町を制圧、占領したと伝えているのである。こういう生臭くきな臭い野蛮な歴史記述(もちろん物語として語られたものである)を現在の私たちはどう受け止めたらよいのだろう。すべて神の栄光、その賛美の表現として、思考を停止してしまうのか。

これらの記述が何を意味するのか、その解釈をめぐって様々な疑問が出され、パレスチナの出エジプト時代の多くの遺跡が、これまで精力的に発掘されてきた。アイがあったとされる地での考古学的発掘によって、現在、この物語の歴史学的な信憑性は大いに疑われているのが事実である。第二次大戦前になされた発掘の成果では、かつての青銅器時代には城壁に囲まれた大きな町がそこにはあったようだが、恐らくイスラエルがパレスチナに到着する時代、つまり鉄器時代より、千年ほど前にすでに破壊されていることが確認された。即ち、聖書の人々に「アイ」と呼ばれたこの町は、イスラエルが到着した時はもう廃墟であり、その後もずっと放棄されたままであったろうと推測されているのである。

出エジプト後のイスラエルの荒れ野の彷徨の期間は、「40年」(聖数)と伝えられ、かなりの長い時間を意味しており、更に考古学的な発掘の成果から(大規模な戦闘はなかった)、歴史家たちはイスラエルのパレスチナ侵入、そして定着は、極めて長期的におこなわれ、幾分かの土地をめぐる小競り合いはあったにせよ、ほとんどは平和的な浸透(水や土地の利用についての取り決め、駆け引き、契約、婚姻等の交流)の結果であろうと考えている。

そもそも「アイ」という地名の意味は、ヘブライ語では「廃墟」を意味しており、アイ攻略にまつわる物語は、28節「ヨシュアはこうしてアイを焼き払い、とこしえの廃虚の丘として打ち捨てた。それは今日まで残っている」の結語をもって閉じられている。この文言からすれば、伝承が語られるもうずっと以前に、アイと呼ばれた町は、廃墟として荒涼たる有様であったことを告げていると思われる。ここからこの伝承が語られた「生活の座」が見えて来るのではないか。

古代の人々によって語られた物語の典型は、「原因譚」物語と、「命名譚」物語であると言われる。創世記11章の「バベルの塔」の物語は、この2つの様式が巧みに組み合わされて語られている。即ち、「バベル(バビロン)」になぜ高塔の廃墟があるのか、そしてなぜ「バベル」と呼ばれるのか、について物語は解き明かしているのである。それと同様に、「アイ」と呼ばれる荒廃した丘を巡って、イスラエルの人々が子どもたちや同胞に語り伝えた民間伝承が、この物語生成の根底にあると推測されるのである。

娯楽の乏しい時代、物語を語り聞くことは、共同体の大きな楽しみであると共に、共同体の成員どうしの結びつきを強める絆でもあった。同じ伝承を共有することが、人と人との緊密な紐帯となるのである。子ども同士の人間関係は、自分たちだけの秘密の共有という絆で結ばれていることが多いが、古代の人間たちもそうであった。だから元は「民間伝承」という視点からこの物語を読めば、実にこの物語の機能がよく見えてくるであろう。

前章では、イスラエルの人々が(一部のものが)、アイをなめたがゆえに、また私利私欲に走ったがゆえに、攻略にまんまと失敗する次第が語られる。それでこの章では戦略を立て直し、戦術を練り直して、再度攻略を試みるのである。即ち1節「恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す」との神の言葉に励まされて、一同の士気が高められる。そして3節以下のヨシュアの命じるよく練られた戦術(伏兵戦)に従って、町を攻略したというのである。この物語はいわば「講談」であり、見事な語りの手法を用いて語られる、丁度「平家物語」のような「戦記」なのである。聴衆は話者の語る説話に、しわぶきひとつ立てず、手に汗握り、ひたすら聴き入ったことであろう。

こうした物語を、現在の私たちはどう受け止めるべきか。もちろん戦争を正当化するために利用してはならないことは言うまでもない。「アイ」が「廃墟」という意味を持つ、つまりこの物語は、「負の遺産」として語られている、と理解することはできないか。即ち、いかなる戦争も、必ず破壊と荒廃をもたらすのである。当事者の一方がまったく無傷で無事であることはできない。戦争の行き着く先は、結局「アイ、廃墟」であると肝に刻む装置として、この物語が語られたのではないか。そもそも神は、人類が廃墟の土に倒れ伏し、土に戻ることを望んでおられないだろう。