「幾年か過ぎ、様々な困難―日本では想像できぬ対立、異なる文化や風習、身の危険、時には日本側の無理解に遭遇し、幾度か現地を引き上げることを考えぬでもありませんでした。でも自分なきあと、目前のハンセン病患者や、旱魃にあえぐ人々はどうなるのか、という現実を突きつけられると、どうしても去ることが出来ないのです」。この文章は、ペシャワール会の故中村哲氏が「イーハトーブ賞」を受賞した時の記念スピーチ(書簡による)「わが心のゴーシュ」(2004年)の中の一節である。
本来、NGO(非政府組織)の究極のゴールは「自分たちの組織が必要なくなる社会を作ること」と言われる。現地の課題が解決し、そこで生きている人々の自立が達成されたなら、NGOは「引き上げる」のである。だから支援者は、いつまでもその立場に留まるのではなく、去って行くことが求められていると言えるだろう。しかし、一度、そこで始められた「善いわざ」は、容易に手を引けない強いしがらみを生み出すことも、中村氏はうよぃ自覚しておられたのである。
今日の聖書個所は、ヨハネの「宣教論」とも呼べる内容を持ったパラグラフである。サマリアの井戸端で、主イエスが女と言葉を交わしたその顛末を語ろうとしているのだが、そのストーリーに巧みに「宣教とは何か」、という問題意識が強く反映されていると言えるだろう。サマリアの女が立ち去った後、続く部分に、弟子たちと主イエスの問答が短く記され、再び、女の取った行動に焦点が当てられている。「わたしにはあなたがたの知らない食べ物がある」、この言葉に弟子たちは、目に見える「食べ物」のことしか思い浮かばなかった。それは「わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」、即ち「(宣教の)ことば」のことであるという。それがどのように伝えられていくのか、がサマリアの女の働きに託して語られるのである。
見知らぬ旅のユダヤ人(主イエス)から声を掛けられ、得体のしれないよそ者から、自身の素性(五人の夫がいた云々)をつぶさに言い当てられた女はびっくり仰天し、目の前のナザレの人が、「メシア」であると(早)合点した。古代社会において、個人情報は人の噂話の媒体を通して、直ぐに伝わる。旅のよそ者とは言え、弟子団を有し、多くの人々を相手に宣教活動している社団にとって、情報に接する機会は実に多かっただろう。古今東西、情報を制する者が、時代を制するのである。「サマリアの女の素性」に関する主イエスの発言も、そうした宣教活動の中で得られた情報のひとつであったのだろう。彼はそれを巧みに用いる術を心得ていた、ということか。
そこで彼女はどうしたか、28節「女は、水がめをそこに置いたまま町に行き、人々に言った。『さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません』。ヨハネは、これが信じるということ、宣教とはこのようにしてなされるもの、という含意を込めてこう物語を綴るのである。サマリアの女の振る舞いが指し示すものは何かと言えば、正統的な教理や信仰告白をきちんと学んだ後に、正しい「信仰」が形作られるとか、宣教者は知的、専門的訓練を十分に受けて後、その務めに携わるもの、という公的な宣教論を暗に批判していると思われるのである。ヨハネが福音書を記した時代、一世紀末には、教会も教職制度が次第に整えられて来ていた片りんがここに伺えるかもしれない。
「ナザレのイエスとは誰か」、自分の人生経験の中で、ともかくも主イエスに出会い、もちろん生身の人間としてではなく、見えない主、伝承されたイエスのみ言葉にふれ、それが自分にとっての「真実のことば」として受け入れるという体験をし、(それを教会は「聖霊の働き」と呼んだわけだが)、その喜びやら不思議さを「証」として袖すり合う様々な人々に語って行く、非常に素朴で直感的、直情的ではあるか、そのようにしてなされるのが「宣教」の本質ではないか、とヨハネは訴えているのではないか。
ここで女の取った行動にまつわる言葉が注目されよう。「水がめをそこに置いたまま町に行き」、この「水がめ」こそ、それまでの彼女の生き方を具体的に物語る象徴でもあるだろう。水なしには生活できない、しかし地域の住民から後ろ指を指されるような実生活の中で、噂を気にして、人目を避けるために昼近くにこっそり水を汲みに来るという生活が、彼女の現実なのである。その現実をこの未知のユダヤ人は、ことごとく知っている。どうせ人の口には戸を立てられない、ならば、隠して隠れてひっそりと生きるなど、およそ無駄な事だ、後ろからひそひそ声でいろいろ面白おかしく話の種にされて来た、しかしこの方は面と向かって直に語る、この者はいったい「誰」なのか。その時、彼女の内に吹っ切れる力が生じたのだろう。「水がめをそこに置いて」、今までの自分の分身を、そこにそのまま遺して、放擲して、彼女は町へと、皆の前に走り出すのである。
39節「さて、その町の多くのサマリア人は、『この方が、わたしの行ったことをすべて言い当てました』と証言した女の言葉によって、イエスを信じた」。この女の働きで、サマリア宣教の緒が開かれたのである。それで主イエスはサマリアの人々に招かれ滞在し、直に彼らに語ることとなる。住民らは信仰の戸口を開いてくれた女にこう言ったという。42節「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かった」。折角の女の尊い働きに対して、あまりに失礼な印象を受ける言葉だが、ここにもヨハネの「宣教」に対する考え方が、深く滲んでいるだろう。「宣教」の現場においては、人は消え失せるのである。誰の努力、誰の功績、誰の働きなど、「ことば」の前には消え失せるのである。サマリアの女の名前は、伝えられていない。しかし、彼女の主イエスとの出会いは、豊かな美しい物語に結実して、正に宣教の言葉として今に息づいているのである。
「なす術が全くなければ別ですが、多少の打つ手が残されておれば、まるで生乾きの雑巾でも絞るように、対処せざるを得ず、月日が流れていきました。自分の強さではなく、気弱さによってこそ、現地事業が拡大継続しているというのが真相であります。よくよく考えれば、どこに居ても、思い通りに事が運ぶ人生はありません。予期せぬことが多く、『こんな筈ではなかった』と思うことの方が普通です。遭遇する全ての状況が―古くさい言い回しをすれば―天から人への問いかけである。それに対する応答の連続が、即ち私たちの人生そのものである」。手の持つものを「メス」から「重機」に変えて、運河の掘削事業に全力投入している頃の、中村氏の息づかいが伝わってくるようだ。サマリアの女もまた、そのような問いかけを受けたひとりなのだろう。「水がめを置いて」、主イエスからの問いかけに、自分もまたそのような身軽さを持ちたいと願う。
