インターネットサイトによれば、世界の言語の数は、7500を超えるという。言葉が違えば、人間の考え方も生活の仕方も大きく違うだろう。この国で使われている言葉のひとつ日本語は、世界の中で1.5%の人々が用いて生活しているに過ぎない。外国に行って異なる言語なので意思が通じない、というのは分かるが、同じ言葉で話しているのに、気持ちが伝わらないということもある。こちらの方が重い課題である。
こう言う文章を読んだ。カジマヤー(数え97歳のお祝い)を終えた、あるおばあさんと話し合った。おばあさんは「戦世のことは人前では語れない。心の痛みを胸の中にいっぱい秘めたまま死んで行った人も沢山(たくさん)いるよ。(沖縄戦の時)私たちはどうせ死ぬなら先祖の墓の前でと決めて、家族で墓の中に隠れて暮らしたさ」と話し出した。天気の良い日の午後、皆で墓庭に出て日光浴(てぃだぶい)している所へアメリカ兵がやってきて、「カモン、カモン」と手招きした。おばあさんは自分の名前を呼ばれていると勘違いして「私の名前はカマーです」と返した。「ぬーがらカマセ(何か食べさせて)とおなかを見せたら、アメリカ兵は自分が持っていた食事をポケットから出してくれたさ。そして全員命拾いしたさ」と、おばあさん。予期せぬ、ほのぼのとした人間同士の交わりである。その話を聞いて私はふと金言を思い出した。「言い様(よう)ぬあれー 聞(ち)ち様んあん」(自分が言ったように生きなさい。そうすれば聞いてもらえる)。おばあさんはその時の自分の気持ちを素直に話しただけで、「おなかがすいているから食べ物のことしか考えられなかったさ」という。おばあさんは時々自分の人生の足跡を話してくれた。「私は明治、大正、昭和、平成の4世代生きているよ。だからあんたがたも頑張って長生きしてよ。だが、うちなーぐち、うちなーぬちむぐくる(沖縄の肝心)忘れたらだめよ。うちなーぐち忘れたら、うやふぁふじ(先祖)を忘れることになるんだよ」。
「カモン」という英語を、自分の名前「カマー」を呼ばれたと勘違いしたことで、命が救われたのである。言葉の不思議さを思う。表面上の意味は正しく理解されなかったが、言葉の魂とも言うべきそれが指し示す事柄はちゃんと伝わっている。そして「うちなーぐち」「うちなーぬちむぐくる」、いわば「魂の言葉」を失ったらだめだと諭すのである。ある詩人は「あなたの好きな言葉は何ですか」と問い、「その言葉を心に温めながら生きて行くのが人間だ」と語った。ヨハネ福音書は「言葉は神であった」と言うが、人間の思いをはるかに越えた働きを言葉に考えているのであろう。
今日の個所はペンテコステ礼拝、最初の教会の誕生日の出来事を伝えるテキストである。最初の教会は、目に見えない神の働きを、いろいろな象徴(シンボル)に託して伝えようとした。そのひとつに「イルカ」がある。古い時代から、「教会」のシンボルとされてきた。それは子どもを守り育てる母イルカの姿を、教会に注がれるキリストの愛になぞらえたからである。しかし、私はもう一つの要素を見る。ある生物学者が語る。「イルカはとてもおしゃべりです」。「私たちの実験でわかったのですが、水槽に設置した水中マイクで、でたらめな音を流すと、イルカはその音をまねるんです。この能力は、仲間同士で意思疎通をはかる必要性と関係があるかもしれません。イルカに独自の言語があるかどうかはともかく、教えた言語で新しい指示を出すと、ちゃんと理解する。そうした能力をもっているんです」。おしゃべりと教会、深いつながりがあるのではないか。勿論、皆さん方のことを言っているのではない。確かにおしゃべり好きな人は多いだろう。しかし、そうではなくて、ペンテコステ、教会の始まりとして伝えられる物語には、最初のおしゃべりが語られているのである。
1-3節「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」ペンテコステの度に読まれる聖書個所である。そして4節「すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」。それまで沈黙していた弟子たちが、おしゃべりを始めた。聖書で聖霊の働きとは、まず語るべき言葉を失っていた人々が、再び言葉を回復するということである。
人間は時に言葉を失ってしまうことがある。病気によって、悲しみによって、嘆きによって、ストレスによって言葉を失ってしまう、ということがある。そしてまた、不条理に深く嘆き悲しむ人を前にして、何の慰めの言葉も出て来ない、何も語れないということもある。沈黙は人間にとって、悲しく苦しいことでもあるが、それは人間としての証なのかもしれない。しかし聖書は、そのような閉ざされた口が、失われた言葉が、神の働きによって回復させられ、大胆に語り始めることを伝えている。
使徒言行録を書いたのは、福音書を書いたルカである。ルカ福音書の冒頭には、祭司ザカリヤの物語、神の言葉を信じなかったために、自らの言葉を失い、そしてまたみ言葉を語る口を回復させられた人の物語が記されている。それを繰り返すかのように、使徒言行録では、言葉を失い、沈黙の中にあった弟子たちが、再びおしゃべりを回復していったことが伝えられる。しかしおしゃべりとはいえ、それは単なる世間話ではない。主イエスのみ言葉がよみがえり、神の言葉として周りにいた、いろいろな国々出身の者たちの耳に届き、そのまた心に響いたのである。6節「だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。」
こう言う文章がある。「私は最初の頃、この祈るということばに、なかなか馴染めなかった。祈ると言っても、口から出てもすぐに消えてしまうことばだけで、何もしない言い逃れではないかと思った。しかしあの人たちは、自分の祈りを神さまが聞いてくれると信じているらしかった。そして一年でも、なんと十年も二十年も毎日祈る人もいるというのだ。しかし、自分のことではなく他人のために大切な時間を使うのだ。これはすごいことだ。私は自分の事だけに悩み苦しんでいるが、この人たちは自分以外の人のために悩み、その人の幸せを祈っている。不思議な人たちだが、私もそんなふうになりたいと思った。あの人たちは、キリストという人を常に心の中心に据えているようだった。あの人たちがいつも持っている聖書という本を私も読んでみようと思った。恐る恐る開いた聖書の中で、高校生の頃に故郷の家の裏の土手で見た懐かしいことばに出会った。(村の一クリスチャンホームの両親が子どもの墓標に刻んだことば。星野氏は若い時、農作業の折りに、何度もそのことばを眺めていたという)。『すべて、疲れたもの、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませよう』」。星野富弘氏の詩画集、『あの時から空が変わった』の一節である。懐かしいことば、故郷の家の裏山に記されたことばに再び出会い、心が開いたのである。
最初の教会の誕生に立ち会った様々な国の人々も同様であった。懐かしい故郷のことばを聞いたのである。キリストの言葉は、私たちの故郷のことばのように、なつかしい命の響きによって、命を振るわせる。そのような言葉を、聖霊は運んでくるのである。その同じ言葉を、時代を越え、場所を越えて、今、聞くのである。