「『あいさつ』を漢字で書いてください」というクイズがあった。「挨拶」と書くが、中々すらすらと思い出せない感じで、いわば「嫌な漢字」である。この語は元々、仏教の禅宗で使用されていた「一挨一拶(いちあいいつさつ)」に由来し、「ひとつ押して、ひとつ迫る」から来ていると説明される。「挨」は「たたく」と読み、扉をたたく、「拶」は「ひらく」と読み、扉を開けるという行為を表す。即ち、目の前にいる相手に(遠慮しないで)、「押しかけて」、そして「まじかに迫る」という事態の表現なのだが、何を押し、何を迫るかと言えば、「相手の悟りの度合い、理解の程度がどのようかを確かめるために、近くに行く」ことなのだという。「挨拶」とは、表面上の儀礼やポーズではなく、相手の胸元にまで分け行って、何が確実か、真実かを己の目で実際に確かめる、というかなりの激しさをもったニュアンスだったことが知れる。表面上は温和で、平静を装っているにしても。国際上の駆け引きをする政治家もまた、この「挨拶」に巧みでないと務まらないのだろう。
さて今日の聖書個所は、ヨハネによる福音書12章20節以下の部分である。24節「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。諸福音書の中、主のみ言葉の中でも、とりわけ印象深いものの一つであろう。ヨハネ福音書では、主イエスの受難予告の文脈で語られている。この「一粒の麦、死なずば」というインパクトの強い文言を引いて、ひとつこのみ言葉に託して、自分の作品のモティーフや意図を、密かに示そうとする作家が少なからずいる。なかでもドストエフスキーの最後の未完の大作、『カラマーゾフの兄弟たち』は印象的である、作品の見返しに「ひと粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただひとつにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」という今日の聖書の個所の、あまりに有名な聖句が記されている。これによって、読者はこの小説がこれからどのように展開して行くかが、おぼろげながら見えて来る。この書の主人公は、きっと「一粒の麦」として生きて、そしてそのように死んでゆくことになるだろう。「一粒の麦」とは主イエスご自身の喩えである、だから主人公のアリョーシャは、主イエスのように、悲劇の十字架への道をたどることになるのだろう。この稀有な小説家は、自身の紡いだ物語に託して、ほんとうの主人公であるイエス・キリストという方について語りたいのだ、そんなことを思わせる仕掛けともなっている。
さて、今日の場面はこのように始まる。ギリシア人、異邦人、外国人が、主イエスの弟子たちのところにやってきて、主イエスへの面会を取り次いでくれるように頼んだという。今も昔も、その初めから教会は、雑多な人々の群れ、集まりである。様々な国、地方からの出身者が集い、一堂に会して顔を合わせる。血筋によらず、出自によらず、ただ神の呼び集められた神の民の群れ、これは今も変わることはないが、考えてみれば、実に風変わりな集まりである。だから愛餐会で「ポット・ラック(持ち寄り)」の会食をすると、おのずと多国籍料理が並ぶという風景と相成る。かつてそこに白いご飯に鰹節を掛けた「ねこまんま」を持ってきた人が居た。曰く「私の自慢料理です」、実に教会らしい。
弟子たちは、新来会者の訪問を受けて、それを師匠に伝えると、主イエスは言われる「人の子が栄光を受ける時(十字架の時)が来た云々」。どうも話が真っすぐに噛み合っていない。面会に来た外国人に、唐突に、「十字架のみ苦しみ」が告げられる。これでは会いに来た人も面食らうだろう。「挨拶」という言葉の、根源的、元来のやり方を主イエス自らが実践しているような展開である。初めて訪れた人に、唐突に「あなたがたの熱意、真剣さはいかほどのものか」と誰何しているような塩梅である。突然、挨拶の代わりに「十字架」が話題にされたら、「私はこのお方に何かとんでもなく失礼で悪いことをしたのか」とぎょっとさせられたかもしれない。しかし十字架が語られてこそ、教会なのである。
おそらくヨハネの教会には、たくさんのギリシア人始めとする異邦人が集っていたのだろう。そしてその中から信仰を表明する者も多かった。するとユダヤ人ばかりでなく、異邦人の救いの問題が、盛んに議論されたと思われる。「神の民、律法を与えられた特別な選民」、と片や「律法を持たぬ神を知らぬ者」、こういう二分法の観念に支配されている時代である。教会でもやはり議論となっていたのだろう。この両者の間に、「救い」の区別や差別はないのか。ヨハネの理解は、非常に明快である。ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、等しく人間、皆、罪人、神のみまえに差別のあるはずはない。だから26節のみ言葉の最後「わたしに仕える者がいれば(誰であろうと)、父はその人を大切に(愛して)くださる」。
結局、この段落でヨハネは、これを言いたいのだが、いかんせん弟子たちがいろいろ文章を付加してしまったから、回りくどく、ややこしいやり取りになってしまっている。神は、求めて来るもの、主イエスに従う者に、愛を持って受け止めて下さる。それは、その人が、好い人、悪意のない正直な人であるからとか、善行を積んでいるからとか、精進しているから、たくさんの学びや研鑽を積んでいるから、とかいう人間的な理由からではない。ひとえに神の独り子、主イエスの十字架のみ苦しみがあるからである。ただ十字架によって、人間の血筋や、出自、どこの国出身か、身分によらず、また信仰や行いにもよらず、神の救いはもたらされる。それが神の栄光の表われそのものである、と主張する。
こうした救いについての議論の間に、あの有名なみ言葉が挟まれている。24節「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」。主イエスの十字架は、「一粒の麦」の死だ、というのである。ここにヨハネの慧眼が光を放っている。他の福音書では、この話題は「種まきの譬え話」として展開されている。ヨハネもまたそれをちゃんと知っている。農夫が種を蒔く、種は色々の地に落ちる。良くない地に落ちた種は、残念ながら実を結ばないが、良い地に落ちる種がある。その種は、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。喜ばしい収穫のプロセスを、神の国の喩えとして語る巧みな話である。「良い地に落ちた種は、ついに百倍もの大いなる実りをもたらす」、主にあって人生のすべて労苦は決して、無駄に費えることはない、終末の大いなる喜びに満ちたヴィジョンである。
ところがヨハネは、他の福音書のように、この有名な譬え話をそのまま再録することなく、一歩進んで、より細かな目を持って、収穫の「現実」、ある意味では残酷な一面をあらわにしようとする。ヨハネは、悪い地に落ちて実を結ばなくても、あるいは良い地に落ちて、多くの実を結んだとしても、そこには一様に生命の現実とも言うべき、ひとつの深刻な事態がある。それは「一粒の麦の死」、という厳粛な事実であるという。「死」という悲しみ、嘆き、喪失、別離なしに、収穫も生命も、何事も生起しないのだという。
「天寿を全うした、大往生だ」と人は評するが、当人にしてみれば「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)」なのである。まして死は、あらゆる人に、なべて納得をして、十分に理解した上での出来事でないだろう。そのほとんどが、不条理であり、理不尽であり、不可解なものである。私たちは先週11日に、東日本大震災の13年目を迎えた。今なお、不条理の悲劇の中で行方の知れない無数の方々がおられる。ある地方紙にこういう記事が掲載されていた。
「登校する際の『行ってきます』『行ってらっしゃい』が最後の会話になった。毎年あの日が近づくたび、岩手県大槌町の佐々木桜さん(24)の脳裏には『お帰り』と笑顔で出迎える母千賀子さんの姿がふとよみがえる」。こんないつもの当たり前の挨拶を最後に、母と子に、突然に別れがやって来たのである。「東日本大震災の津波で母を亡くして半年後の2011年9月、大槌北小学校6年生だった桜さんは、町内の赤浜小との合同修学旅行で三種町を訪れた。旅行先に予定していた仙台市も被災したため、三種出身で赤浜小に勤務していた芦澤信吾教諭の発案で実現した」。被災して、その多くは親しい身近な人との悲しい別れを経験している子ども達に、何とか出会いの喜びを吹き込みたい、という教師の願いによるものである。「両校の6年生と引率教諭計42人が2泊3日で訪問。6世帯に分かれて民泊し、きりたんぽ作りなどを体験した。桜さんは母を突然失った悲しみやがれきに囲まれた景色をひととき忘れた。『心を癒やされ元気をもらった』最終日に向かったのは釜谷浜。水平線に夕日が沈んでいった。同級生の半数が津波で自宅を流されていた。それにもかかわらず太平洋側の三陸では見られない光景は息をのむほど美しかった。海は怖さだけでなく、多くの恵みをもたらすことに改めて気付く機会になった。あれから13年。桜さんは2児の母になった。『お母さんみたいなお母さんになれるように頑張ってるよ。見守っていてね』。今年の命日には墓前にそう伝えるつもりだ。」(「北斗星」3月9日付)
「一粒の麦」は、地面の下、土の中、暗闇の中で死に、しかしそこから芽を出し、地上に茎をのばす。主イエスもまた、十字架に息絶えて、土の下、墓の中に葬られた。しかしそこから死の闇をけ破り、復活の命を持ってよみがえられたのである。海は怖さだけでなく多くの恵みをもたらし、不条理の内に、愛する母を失った子どもが、自らも母となる。そこにもまた死の闇を照らす光がある。「光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい」。「光は、あなたがたの間にある」、一粒の麦に、注がれる光がある。十字架の向こう側に、私たちは今光を見るのである。