西口智子

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祈祷会・聖書の学び エレミヤ書31章1~14節

沖縄では、宴会や祝い事などの集まりに、最後に必ず「カチャーシー」が行われる。「かきまぜる」という意味で、「無礼講」のように自然に皆が一つになって踊りを行うのである。踊り、舞踊は、今では娯楽や芸術であるが、元々は極めて宗教的な行為というか、宗...
2026説教集ー田中牧師

「死者の中から」マルコによる福音書9章2~10節

季節の変わり目、最近は花粉症に春の訪れを覚える、という人も多いだろう。なぜか桜が咲くころになると、症状が治まる(スギ花粉が過ぎ越す)。季節ばかりでなく、体調の変化も著しいこの時期である。桜も開花しようかというこの週の聖日は、カトリック教会で...
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祈祷会・聖書の学び エレミヤ書24章1~10節

なぞなぞをひとつ、「お皿の上に『9』のひと文字、これはある果物なのですが、何でしょうか」。幼い頃に住んでいた家は、敷地の周囲にぐるりと「いちじく」の木が植えられていたことを覚えている。隣近所の住宅もみな同じように植えられていたので、はやりだ...
2026説教集ー田中牧師

「誰にも話さないように」マルコによる福音書8章27~33節

あるCMでこういうやり取りの場面がある。レコードの手入れをしていると「面倒くさくないですか?」、すると「面倒なのがいーんじゃない」と応じる。「手伝いましょうか?」、「だめ、だめだって」。アナログ・レコードが静かなブームだという。現在も昔なが...
2026説教集ー田中牧師

「世界祈祷日」説教 マタイによる福音書11章28~30節

ナイジェリア、ある年代以上の方は、「ビアフラ」という地名を記憶しているだろう、この国の一部の地域であるビアフラの悲惨が世界に伝えられた。1960年代末、民族の独立を掲げて内戦が起り、この地にこの上ない深刻な飢餓がもたらされた。この国でも「や...
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祈祷会・聖書の学び エレミヤ書20章7~18節

手掌を骨折した。手術で薬指の中支骨の骨折箇所に、釘のような金属棒を二本、交差させて埋めこみ固定をし、癒着を待つこととなった。掌に釘を打たれたような有様で、磔にされたあの方を偲ぶ縁になった、というような大げさなものでもないのだが。ところが金属...
2026説教集ー田中牧師

「すべてが赦される」マルコによる福音書3章20~27節

まもなく3月を迎える。受難節頃の気候の変化、冬から春への移り変わり、英国の諺では「狼のように来たり、小羊のように去って行く」という言辞があることを紹介した。そこでこんな新聞記事を読んだ。「狭い森にライオンとヒツジがすんでいるとする。強いライ...
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祈祷会・聖書の学び エレミヤ書15章10~21節

こういう文章がある「ひとはつい見えを張る生きもの。かつて米国の『リーバイス』が店でジーンズを買った女性客に感想をたずねた。すると10人中7人がサイズに不満と答えた。店員から胴回りを聞かれると、小さめに申告してしまい、はくのがキツイと。そこで...
2026説教集ー田中牧師

「40日間そこに」マルコによる福音書1章12~15節

先週の水曜日から今年の「受難節」を迎えた。40日余りの主イエスの十字架の苦しみを偲び、自らも悔い改めの心を涵養するための日々を送る期間である。そのために古来より、この期間に断食を守る習慣が教会では定着した。とは言え、全く食事をしないという訳...
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祈祷会・聖書の学び エレミヤ書14章7~9節

こういう文章を読んだ、「学校生活のなかでは、友だちが多いことがいいとされ、友だちがいないことはまるで悪いように扱われる場合が多いかと思います。自宅でも学校でも、大人たちから『友だちと仲良くしなさい』『友だちをたくさんつくりましょう』といわれ...