新着情報

新着情報

受難週祈祷会 哀歌3章40~51節

楽器でないものを用いて演奏する曲がある。「ハンガリー人の現代音楽作曲家リゲティの作品に、ぜんまい式メトロノーム100台だけを使う奇妙な“曲”がある。ばらばらのテンポに設定したメトロノームを一斉に鳴らして演奏が始まる。最初は塊になっていた「カ...
2026説教集ー田中牧師

「自分は救えない」マルコによる福音書15章21~41節

ある医師(桜井竜生氏)がこう語っている。「私は人一倍、病気の痛みや苦しみ、死ぬことが怖くて医者になった。医者になったら、その怖さが少しは軽減するかと思ったが、残念ながらそうでもなかった。当たり前のことだが、医学部では、死んだ後のことは教えて...
新着情報

祈祷会・聖書の学び エレミヤ書37章11~21節

ある地方紙の新聞コラムの一節「毎日が無事に暮らせていることは幸せだと思う。そんな当たり前のことが難しくなっていくのか。だとしたら、何かを大きく変えねばならないか。旧約聖書の『創世記』に、有名な『ノアの箱舟』の話がある。大洪水が起こり、人間で...
2026説教集ー田中牧師

「何をして欲しいのか」マルコによる福音書10章32~42節

「言われなくてもやる、言われてもやらない」これは私の先輩牧師で、阪神淡路の震災の時に、震災の現場に集まって来たボランティアたちのまとめ役をされた方の言葉である素よりボランティアは「必要(ニード)に応えて」という精神だが、何でもかんでもはいそ...
新着情報

祈祷会・聖書の学び エレミヤ書31章1~14節

沖縄では、宴会や祝い事などの集まりに、最後に必ず「カチャーシー」が行われる。「かきまぜる」という意味で、「無礼講」のように自然に皆が一つになって踊りを行うのである。踊り、舞踊は、今では娯楽や芸術であるが、元々は極めて宗教的な行為というか、宗...
2026説教集ー田中牧師

「死者の中から」マルコによる福音書9章2~10節

季節の変わり目、最近は花粉症に春の訪れを覚える、という人も多いだろう。なぜか桜が咲くころになると、症状が治まる(スギ花粉が過ぎ越す)。季節ばかりでなく、体調の変化も著しいこの時期である。桜も開花しようかというこの週の聖日は、カトリック教会で...
新着情報

祈祷会・聖書の学び エレミヤ書24章1~10節

なぞなぞをひとつ、「お皿の上に『9』のひと文字、これはある果物なのですが、何でしょうか」。幼い頃に住んでいた家は、敷地の周囲にぐるりと「いちじく」の木が植えられていたことを覚えている。隣近所の住宅もみな同じように植えられていたので、はやりだ...
2026説教集ー田中牧師

「誰にも話さないように」マルコによる福音書8章27~33節

あるCMでこういうやり取りの場面がある。レコードの手入れをしていると「面倒くさくないですか?」、すると「面倒なのがいーんじゃない」と応じる。「手伝いましょうか?」、「だめ、だめだって」。アナログ・レコードが静かなブームだという。現在も昔なが...
2026説教集ー田中牧師

「世界祈祷日」説教 マタイによる福音書11章28~30節

ナイジェリア、ある年代以上の方は、「ビアフラ」という地名を記憶しているだろう、この国の一部の地域であるビアフラの悲惨が世界に伝えられた。1960年代末、民族の独立を掲げて内戦が起り、この地にこの上ない深刻な飢餓がもたらされた。この国でも「や...
新着情報

祈祷会・聖書の学び エレミヤ書20章7~18節

手掌を骨折した。手術で薬指の中支骨の骨折箇所に、釘のような金属棒を二本、交差させて埋めこみ固定をし、癒着を待つこととなった。掌に釘を打たれたような有様で、磔にされたあの方を偲ぶ縁になった、というような大げさなものでもないのだが。ところが金属...